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最高裁判所第一小法廷 昭和46年(行ツ)106号 判決 1974年5月30日

上告人

大阪府国民健康保険審査会

右代表者

桜田誉

右指定代理人

貞家克己

外四名

被上告人

大阪市

右代表者

大島靖

右指定代理人

森三郎

外二名

主文

原判決を破棄し、第一審判決を取り消す。

被上告人の本件訴えを却下する。

訴訟の総費用は、被上告人の負担とする。

理由

上告代理人香川保一、同斉藤健、同伴喬之輔、同鎌田泰輝、同上野至、同東光宏の上告理由第一について。

論旨は、要するに、国民健康保険の保険者は、自己のした保険給付等に関する処分が国民健康保険審査会(以下、審査会という。)の裁決によつて取り消された場合でも、審査会を被告人としてその裁決の取消しを求める訴訟を提起することはできないと解すべきであるのに、これと反対の見解に立つて本訴を適法と認めた原判決には、行政不服審査制度の建前に反し、国民健康保険事業の法的性格を誤解した違法がある、というのである。

よつて按ずるに、国民健康保険法(以下、法という。)は、市町村(特別区を含む。以下同じ。)又は法の規定に従つて設立された国民健康保険組合を国民健康保険の保険者と定め(三条)、保険者のした保険給付に関する処分(被保険者証の交付の請求に関する処分を含む。)又は保険料その他法の規定による徴収金に関する処分(以下、これらの処分を一括して保険給付等に関する処分という。)に不服がある者は、審査会に審査請求をすることができ(九一条)、更に、審査会の裁決を経たうえでその処分の取消訴訟を提起することができるものと定めている(一〇三条)。これによれば、国民健康保険の保険者たる市町村又は国民健康保険組合は、保険給付等に関する処分を行なう関係では、行政庁として規定されているものということができるが、他面、これらの保険者は、いずれも独立の法人であつて(市町村につき地方自治法二条一項、国民健康保険組合につき法一四条)、保険事業を経営する権利義務の主体たる地位を有するのであるから、みずからのした保険給付等に関する処分が審査会の裁決によつて取り消されるときは、右の事業経営主体としての権利義務に影響を受けることとなるのを避けられない。しかし、そのことから直ちに、審査会の裁決によつて不利益を受ける保険者は、一般の事業主体と同様に、訴訟によつてその裁決を争うことができると解するのは早計であつて、このことが認められるかどうかは、国民健康保険事業の性格に照らし、その運営について法がいかなる建前を採用しているかを検討したうえで決しなければならない。

思うに、国民健康保険事業は、国の社会保障制度の一環をなすものであり、本来、国の債務に属する行政事務であつて、市町村又は国民健康保険組合が保険者としてその事業を経営するのは、この国の事務を法の規定に基づいて遂行しているものと解される。法が、市町村に国民健康保険事業の実施を義務づけ(三条一項)、国は国民健康保険事業の運営が健全に行なわれるようにつとめなければならないものとし(四条一項)、都道府県には右事業の健全な運営についての指導責任を負わせ(同条二項)、更に、国又は国の機関としての都道府県知事に保険者の業務に対する強力な監督権を認める(一〇八条、一〇九条等)、とともに、国民健康保険事業に要する費用につき国庫補助を規定し(六九条ないし七四条)、保険者の行なう滞納保険料等の徴収については強制徴収の権能を認め(七九条の二、八〇条)、また、前記のように、保険給付等に関する保険者の措置を行政処分と構成してその効力の早期安定を期していることなどは、国民健康保険事業の右のような性格を示すものにほかならない。そうであるとすれば、現行法上、国民健康保険事業は市町村又は国民健康保険組合を保険者とするいわゆる保険方式によつて運営されているとはいえ、その事業主体としての保険者の地位を通常の私保険における保険者の地位と同視して、事業経営による経済的利益を目的とするもの、あるいはそのような経済的関係について固有の利害を有するものとみるのは相当でなく、もつぱら、法の命ずるところにより、国の事務である国民健康保険事業の実施という行政作用を担当する行政主体としての地位に立つものと認めるのが、制度の趣旨に合致するというべきである。

また、審査会は、保険者のした保険給付等に関する処分に対する不服申立を審査するために、都道府県知事の附属機関として各都道府県に設置されるもので(法九二条、地方自治法一三八条の四第三項、同法別表第七の一参照)、形式上は保険者たる市町村とは別個の行政主体に属し、その構成も被保険者、保険者及び公益の三者の代表より成る合議制の機関である(法九三条一項)。法が保険者の処分についてこのような審査会を審査機関としたのは、保険者の保険給付等に関する処分の適正を確保する目的をもつて、行政監督的見地から瑕疵ある処分を是正するため、国民健康保険事業の実施という国の行政活動の一環として審査手続を設けることとし、その審査を右事業の運営について指導監督の立場にある都道府県に委ねるとともに、その審査の目的をいつそう適切公正に達成するため、都道府県に右のような特殊な構成をもつ第三者的機関を設置して審査に当たらせることとしたものであつて、審査会自体が保険者に対し一般的な指揮命令権を有しないからといつて、その審査手続が通常の行政的監督作用たる行政不服審査としての性質を失い、あたかも本来の行政作用の系列を離れた独立の機関が保険者とその処分の相手方との間の法律関係に関する争いを裁断するいわゆる行政審判のごとき性質をもつものとはとうてい解されないのである。法が審査会における審査手続について行政不服審査法をそのまま適用することとしている(法一〇二条)のも、右の趣旨に出たものと考えられる。

以上のような国民健康保険事業の運営に関する法の建前と審査会による審査の性質から考えれば、保険者のした保険給付等に関する処分の審査に関するかぎり、審査会と保険者とは、一般的な上級行政庁とその指揮監督に服する下級行政庁の場合と同様の関係に立ち、右処分の適否については審査会の裁決に優越的効力が認められ、保険者はこれによつて拘束されるべきことが制度上予定されているものとみるべきであつて、その裁決により保険者の事業主体としての権利義務に影響が及ぶことを理由として保険者が右裁決を争うことは、法の認めていないところであるといわざるをえない。このように解しても、保険者の前記のような特別な地位にかんがみるならば、保険者の裁判を受ける権利を侵害したことにならないことはいうまでもなく、もしこれに反して、審査会の裁決に対する保険者からの出訴を認めるときは、審査会なる第三者機関を設けて処分の相手方の権利救済をより十分ならしめようとしたことが、かえつえ通常の行政不服審査の場合よりも権利救済を遅延させる結果をもたらし、制度の目的が没却されることになりかねないのである。以上の理由により、国民健康保険の保険者は、保険給付等に関する保険者の処分について審査会のした裁決につき、その取消訴訟を提起する適格を有しないものと解するのが相当である。

ところで、本訴は、国民健康保険の保険者である被上告人市が柳沢操から被保険者証の交付を請求されたのに対し、住所要件を欠くことを理由にこれを拒否したところ、同人からの審査請求に基づき、上告人審査会が右処分を取り消して同人を被上告人市の被保険者とする旨の裁決をしたので、これを不服とする被上告人市が上告人審査会を被告として右裁決の取消しを求めるものであり、第一審及び原審は、この訴えについて被上告人市の請求を認容する本案の判決をしていることが明らかである。しかし、かかる訴えが許されないことは上記のとおりであつて、これを適法と認めた第一審及び原審の判断は誤りというほかなく、論旨は理由がある。

よつて、その余の上告理由に対する判断を省略して原判決を破棄し、第一審判決を取り消したうえ、本件訴えを却下することとし、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇八条、三九六条、三八六条、九六条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

(大隅健一郎 藤林益三 下田武三 岸盛一 岸上康夫)

上告指定代理人香川保一、同斉藤健、同伴喬之輔、同鎌田泰輝、同上野至、同東光宏の上告理由

第一、原判決には、判決の結果に影響を及ぼすこと明らかな被上告人の出訴権に関する法令の解釈の誤りがある。

一、原判決は、昭和三六年法律第一四三号による改正後の国民健康保険法(以下「法」という。)の規定に基づく保険給付に関する保険者たる市町村(特別区を含む)の処分が、法第九一条第一項の規定による審査請求に基づく国民健康保険審査会(以下「審査会」という。)の裁決により変更された場合に、保険者たる市町村がその裁決を不服として争う訴えを提起することができるものとし、その理由につき原判決が引用する第一審判決はつぎのとおり述べている。

すなわち、まず実質的理由として、「保険者である市町村等は一般被保険者から保険料を徴収し、かつこれを被保険者全員のために保管するものであり、主として右保険料の中から給付事由が生じた場合に支給すべき保険給付に充てられるものと解すべきであるから、保険者は常に保険給付が適正に行なわれるか否かについて利害関係を持つているし、しかもこれが適正に行われるよう図るべき職責を持つものである。従つて、審査会の裁決が国民健康保険事業の運営上適正を欠き保険者の法律上の利益を害すると思料する場合にも保険者が裁決を争つて裁判所に出訴できないものとすれば、保険者として右職責をつくすことができないばかりでなく、保険者から処分を受けた者に出訴権が与えられているのに比し甚しく均衡を失する結果となる(保険者から処分を受けた者以外の一般被保険者は保険者の処分を不利益に変更した審査会の裁決に不服であつても出訴することができないから、他の一般被保険者全体の利益を保護する道が閉されることとなる)。」と述べ、さらに、理論的根拠として、法第九一条第一項にいう処分を、行政処分の面からみれば、保険者は行政庁(行政庁に類する)であるけれども、他面「保険者たる市町村等は国民健康保険事業を経営する権利義務の主体たる地位を元来法により当然有しているのであつて、(中略)この権利義務の主体たる地位の面からみて、その有する権利義務に利害関係を持つならば、権利又は利益の救済のためにその地位に基づいて保険者は、訴訟当事者として出訴するについて何らの制限を受けない」とし、ただ「違法な行政処分により侵害された国民の特定の権利または利益の救済そのものが目的とされているような不服申立の場合」や「行政庁相互間……に上級下級の一般的指揮監督関係がある場合」の「その間の紛争」については、行政庁は、審査庁の裁決を争つて出訴することは許されないけれども、本件の場合は「審査会と保険者とは上級下級の関係にあるものではなく、その間に一般的な指揮監督関係は存しない。」し、審査会の組織構成等からみて「審査会は保険者と被保険者その他の利害関係人との間の紛争を第三者的な立場から処理する裁定機関としての実質を有し、単に特定の被保険者その他利害関係人の権利ないし利益の救済そのものを目的とする不服申立制度とはやゝ性格を異にするものといえる。」として、右の出訴の許されない場合に該当しない、と述べている。

原判決の右の見解は、結局のところ、法第九一条以下の規定による審査会の審査は、一般の行政処分について上級の指揮監督権限のある審査庁のする内部的なレビユー(再審査)と異なり、指揮監督権限のない第三者機関の審査であり、いわば保険者をも対立当事者的に取り扱つての実質上裁定に類するものであり、審査会の裁決により当事者である保険者及び審査請求人以外の被保険者その他の第三者が実質的に不利益を受けることがあるから、かかる場合に保険者が出訴し得なければ不合理であるが、かかる出訴権は、行政庁としての保険者の地位からは認め難いので、国民健康保険事業の権利義務の主体としての地位において出訴できるものとしていると解せられる。

しかしながら原判決の右見解はつぎに述べるように現行行政不服審査制度の建前に反し、また国民健康保険事業の法的性格を誤解するものであり、とうてい従うことのできないものである。

二、法第九一条以下の審査請求手続は、行政不服審査法の適用があることからも明らかなように(法第一〇二条)、行政庁の処分の取消しを求めるものであるから、審査請求手続に関与する保険者たる市町村等は、行政庁としての性格を有する(行政処分の法的効果の帰属主体たる行政主体が、その名において行政処分を行なつている例として、道路法第九六条第二項、たばこ専売法第八条等。)。したがつて、保険審査会の裁決は、行政庁たる保険者を拘束するのであり(行政不服審査法第四三条)、行政庁たる保険者が保険審査会の裁決の取消しを求める訴えを提起することは、少なくとも法は予定していない。このことは行政不服審査法の構造からだけではなく、行政事件訴訟法も、抗告訴訟としての裁決取消訴訟(第三条三項)において、行政庁に当事者能力を認めているのは、審査庁である行政庁が被告となる場合であり、原処分庁である行政庁が原告となつて訴えを提起することを予想していないと考えられる。

右の理は、審査庁たる保険審査会が直近上級行政庁でなく、第三者機関であることによつても、何ら影響を受けるところはない。

行政不服審査法は、処分庁に上級行政庁がないときでも、法律に審査請求をすることができる旨の定めがあるときは、その法律の定める行政庁に対し審査請求をすることができるものとして(第五条一項二号、二項)、第三者機関に対する審査請求を認め、かかる第三者機関である審査庁は、裁決において、処分の全部または一部の取消しをすることはできるが、上級行政庁たる審査庁と異なり、処分を変更することはできないものとされている(第四〇条三項、五項)。しかし第三者機関である審査庁の裁決も、その余の点においては上級行政庁たる審査庁の裁決と異なるところはなく、原処分庁に対する拘束力も当然に有しているのである。

右に述べたように、行政不服審査法が、一般的指揮監督権を有する上級行政庁が存在しない場合に、第三者機関に対して審査請求をする場合のあることを認めながら、なお審査庁の裁決に一般的に拘束力を与えているのは、第三者機関である審査庁の裁決であつても、原処分庁はこれに当然に服すべきことを意味し、原処分庁が審査庁の裁決を争うことを許さないという趣旨にほかならない。

ところで、行政庁としての保険者は、保険に関する権利、義務の帰属主体たる保険者とは、観念的には区別し得るかも知れないが、権利義務の主体たる保険者から離れて存在するわけではなく、権利義務の主体たる保険者が行政処分を行う場合の側面であるにすぎない。したがつて、保険審査会の裁決が、行政庁としての保険者を拘束する以上、その実体である権利義務の主体たる保険者をも拘束することは当然のことと思われる。かりに審査会の裁決が保険者を拘束しないとすれば、審査請求人としては原処分取消しの裁決を得ても、かならずしも、権利救済を得たことにはならないのであり、却つて法一〇三条が訴願前置を規定していることにより審査請求の制度が権利救済に対する大きな障害となる不合理な結果をきたすことになるであろう。

以上のように、法及び行政不服審査法の建前は、行政庁たる保険者はもちろんのこと、権利義務の主体たる保険者も審査会の裁決に対し訴えを提起することを認めていないと解されるのであるが、それにもかかわらず、なお保険者たる市町村等に訴え提起を許容すべきものとすれば、何らかの法的根拠、何らかの実質的理由を必要とするというべきであろうが、かかる事情の存在も、以下述べるように、国民健康保険事業の構造、性格からみて、とうてい認められない。

法(昭和三三年法第一九二号)に基づく国民健康保険事業は、社会保険制度調査会の社会保障制度要綱(昭和二二年一〇月八日答申)が示す基本理念、すなわち最低生活の保障のためには「現在の社会保険制度や生活保護制度等では不十分であり、このためには新しい社会保障制度の確立が必要であり」、「全国民を対象とする綜合的制度」として、「現在の各種の社会保険を単につぎはぎして統一するものではなく、生活保護制度をも吸収した全国民のための革新的な綜合的社会保障制度」を確立し、保険事故は傷病、廃疾、死亡、出産、育児、老令、失業とし、国民を被用者(雇用契約の下でやとわれている者)、自営者(勤労者および事業により生活を営む者)、無業者(これら以外の者)の三種に分ち、その費用は被用者については一定割合を使用者が負担するほか、全国民が所得等に比例してきよ出する義務を負い、国は給付に要する費用の一部および事務費の全額を負担する、という国民皆保険構想の下に、設立、運用されてきているものであり、国民健康保険事業は高度の公共性を有する。

したがつて、この事業主体すなわち保険者については、法は一般の私人がこの地位に就くことを許さず、保険者となり得る者は、地方公共団体たる市町村(特別区を含む)および法により特に設立を認められる公法人たる国民健康保険組合に限定し、特に市町村は事業実施義務を負つているのである(法第三条第一、二項)。

このように国民健康保険事業は、地方公共団体たる市町村が社会保障行政の一環として行なうものであり(組合は法により行政権を一部委譲されていると解すべきであろう。)、したがつて保険給付や保険料等の徴収金に関して行政処分が行なわれ(法第九一条第一項)、保険料の徴収につき地方税と同視して強制徴収が許され(法第七六条、第七八条、第七九条、第七九条の二)、市町村住民は法により当然被保険者資格を認められ(法第五条)、国が、事業費の一部を負担し(法第六九条、第七〇条、第七二条、第七三条)、保険料は所得額に応じて定められ、保険料の賦課及び徴収等に関する事項は条例で定められる(法第八一条)のである。

このように、国民健康保険事業は、公的扶助としての色彩を有する社会保険として、国民皆保険の構想のもとに、全国的規模において行なわれており、事業費も国が大はばな負担をしているのである。したがつて、国民健康保険事業は、市町村が実施しているが、市町村の固有事務ではなく、法律によつて特別に委任された、いわゆる団体委任事務に属し(地方自治法第二条第二項、第二三二条第二項)、国は国民健康保険事業の運営が健全に行なわれるよう努力する責務を有し、都道府県は市町村等に対し必要な指導をすることが要請されているのである(法第四条)。そのために厚生大臣、都道府県知事は、保険者に対し、事業および財産の状況に関し報告を求め、またその状況を検査するなどの監督権限を有しているのである(法第一〇八条等)。

右のごとく、国民健康保険事業は、社会保障制度として、社会保障及び国民保健の向上に寄与するためのものであるから、法第九一条第一項にいう保険給付に関する処分は適正迅速になされる必要性の特に大きいものであることはいうまでもないので、その処分に対し不服のある被保険者等の権利救済を適正迅速に、行政内部において図る必要のあることももちろんである。そこで、本来ならば、かかる処分をする行政主体たる市町村の処分について、内部的に再審査する機関が存しないので、直ちに裁判所の判断を受けることになるのであるが、右の国民健康保険事業の性格から違法な処分による権利侵害の救済制度をその趣旨に相応しいものとして整備するため、国民健康保険事業の運営が健全に行なわれるよう必要な指導の責務を負つている都道府県(法第四条第二項)に、その附属機関として、審査会を設けることとし(法第九二条から第九七条まで参照)、この審査会に対し、右の処分について不服ある被保険者等の行政不服審査法による審査請求を認め、行政内部において原処分についての再審査をすることとしたのである。すなわち審査会は、保険者たる市町村等に対して直接一般の指揮監督権限を有しないとしても、行政不服審査法による裁決庁として、保険者たる市町村等の原処分に対する審査請求に応じて再審査する制度が設けられたことから、その裁決は、いわば市町村を保険者としての国民健康保険事業の行政主体の意思としてなされる性格のものであつて、当然、処分庁たる市町村は、行政不服審査法第四三条第二項の規定により審査庁たる審査会の裁決に拘束されるものと解すべきである。正に、立法政策として被保険者等の権利救済のための内部的再審査制度として審査会及び審査請求の制度が設けられているのであつて、かかる制度が国民健康保険事業の公共的性格に相応するものといえよう。もちろん審査会の裁決といえども誤りなきを保し難く、ために保険者は違法な給付を強いられる結果となる場合がないとはいえないかも知れないが、かかる関係は、一般の行政処分についての行政不服審査にも存する止むを得ないことであり、内部的に、都道府県の行政指導等により一般的な是正を図るべきものである。以上のごとく解したからといつて、審査会の法的性格をまげるものではもちろんなく、むしろ社会保険制度の在り方としてより合理的である。

原判決は、審査会の裁決により保険者、審査請求人以外の被保険者者その他の利害関係人の権利ないし利益が侵害される場合、保険者は、これらの者の代表者的な立場においても、出訴することができるものと解し、かかる出訴権を認めるために保険者たる市町村に行政庁たる面と権利義務の主体たる面を認め、後者の地位において出訴することができるものとしているが、保険者たる市町村が裁決により違法な給付を強いられる結果となつても、一般的に出訴権を認めないこととするのがより社会保障及び国民保健の向上のために妥当であるとの比較考量の立法政策によるものというべきである。

以上述べたように、原判決が、被上告人たる大阪市に本件裁決取消しの訴え提起を認めたのは、法令の解釈を誤まるものである。

第二、原判決には、判決の結果に影響を及ぼすことの明らかな住所認定についての誤りがある。

一、原判決は、訴外柳沢操(以下操という)の住所が入院先である千石荘に存するものと認める理由として、「操の入院前の住所は大阪市西成区津守町の実父経営の吉見電機工業株式会社の社宅に存在したが、昭和三四年一二月から昭和三八年三月まで大阪府貝塚市所在国立療養所千石荘入院中の期間については、社宅に帰つても相当期間にわたつて居住しうる状態になかつたのであるから、社宅を同人の生活の本拠と認めるべき客観的事実が十分でないのに反し、千石荘には大阪市の国民健康保険発足当時すでに約一年四か月入院しており、治癒による退院の見込みもなく、なお相当期間にわたる療養の必要が予測され、現実にその後約二年間療養を続けている。そのうえ、社宅には家族もおらず、自己の生業や管理すべき資産もない。このような事実関係からみれば、千石荘入院中の操の住所は右千石荘にあつたとみるべきである。」と判示している。

二、しかし、昭和四二年法律第八一号により廃止された住民登録法(昭和二六年法律第二一八号)による住民登録は、住民の居住関係を公証する効力を有するものであるから、反対証明のない限り、住民票記載の住所が当該住民の住所であると解すべきものである。

ところで、民法第二一条にいう生活の本拠とは個人の職業関係、交友関係、近隣関係、家族関係等の諸関係を総合した一般市民としての生活関係を意味すると解すべきところ、病院における入院患者の生活関係は療養のためのみの生活であり、一般市民としての諸関係は入院前の住所に残つているのが通常である。つまり一般市民としての生活の本拠は原則として病院には存しないのである。したがつて、入院患者の場合は原則として病院に住所はなく入院前の住所を入院中も住所とすべきものである(かかる趣旨は公職選挙法第二七〇条第一項(昭和四四年法第三〇号による改正前のもの)に明示されているところである。)。

ただ入院生活が一〇年も二〇年も継続すれば、特に独身者の場合には入院前の住所における諸関係が消失するとともに、病院に市民としての生活が移ることもありえよう。しかし、本件のように、被保険者証の交付請求時約一年四か月しか入院しておらず、入院前の住所に家財道具や勤務関係がある場合には病院に市民としての生活が移ることはありえないであろう。

このような事実関係にある本件においては、住民票記載の住所(前記社宅)以外の場所に生活の本拠が存在することが証明されたといえないこともちろんである。したがつて、住民票記載の住所以外の場所を住所であると認定した原判決には、民法第二一条および前記廃止前の住民登録法第一条、第四条七号の解釈を誤つた違法があり、この違法は、判決の結果に影響を及ぼすこと明らかである。

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